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東国の拠点だった群馬

群馬の遺跡は今から2~3万年前、旧石器時代の「岩宿遺跡」に始まります。3世紀後半~7世紀にかけて古墳時代には関東は東国と呼ばれ、群馬は大事な拠点でした。大和政権のある近畿と未開拓の東北を結ぶ陸路の通過点であり、当時貴重な軍事力だった”馬匹(ばひつ)生産”を積極的に行っていたからです。そのため4~6世紀にかけて豪族らの古墳が群馬に沢山作られました。特に西部エリアに多いのは、石の生産が盛んだったことが要因。多くの出土品や埋葬品から当時の「東国文化」を知ることができます。

馬の埴輪(保渡田古墳群)

馬の埴輪(保渡田古墳群)

世界記憶遺産候補「上野三碑」

「上野三碑(こうずけさんぴ)」は、7・8世紀の古代の石碑、山上碑(やまのうえひ)・多胡碑(たごひ)・金井沢碑(かないざわひ)の総称で、直径約3㎞以内に三碑が近接しています。すべて国指定特別史跡。三碑は相互に関連性が深く、朝鮮半島の石碑文化、中国の政治制度や漢字文化、インドの仏教文化などの影響がうかがえ、中央(近畿)から遠く離れた東国の上野国(群馬県)に、当時の先進文化が受容されていたことを示しています。東アジアの交流を示す歴史的・文化的に貴重な遺産として「世界の記憶」候補への登録が期待されています。

上野三碑

上野三碑 詳細

古代ロマンにふれる喜び

県内には15,000ほどの古墳があったとされ、現在、県内には「保渡田古墳群」「白石古墳群」「八幡古墳群」の三大古墳群があり朝鮮渡来系の遺物が多く発見されています。保渡田古墳群には3つの前方後円墳があり、埴輪などの副葬品も多く身分の高い豪族を葬っていた状態がよく分かります。白石古墳群は大小合わせて300以上の古墳があったとされ、中でも伊勢塚古墳の石室は全国でもここだけと言われる珍しい”模様積み”と呼ばれる積み方で、胴張り型のアーチ構造を見事に支えています。八幡古墳群の観音塚古墳は古墳時代最末期の前方後円墳と言われ、その石の大きさには驚かされます。

古墳遺跡地図

ほかにも、今から約1,500年前の榛名山の噴火で犠牲となった男性が、甲(よろい)を身に着けた状態で発見された金井東裏遺跡などがあります。古墳作りや出土品に当時最新の文化や技術が積極的に取り入れられ、それを読み解くのが最高のロマン。残された古代人のメッセージを肌で感じてみませんか。

白石古墳群(藤岡市)

藤岡市白石に、南北約2kmにわたって白石稲荷山・十二天塚・七輿山などたくさんの古墳があります。前方後円墳、円墳、方墳と形もさまざま。見て回るだけで楽しめます。

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八幡古墳群(高崎市)

碓氷川に面した高崎市八幡地区に、平塚古墳・二子塚古墳・観音塚古墳の3基の大きな前方後円墳を中心に20以上の古墳が発掘されました。

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岩宿遺跡(みどり市)

昭和21年に相沢忠洋氏が関東ローム層から黒耀石の石器を発見。その後の発掘調査で日本列島に旧石器時代が存在したことが初めて科学的に証明されました。

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金井東裏遺跡(渋川市)

平成24年に発見。6世紀初頭に噴火した榛名山二ツ岳の火山灰の地層から、古墳時代の人骨が甲(よろい)を着た状態で発見されました。これは全国で初めての事例であり、歴史的に大変価値のあるものです。

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