約1300年前の日本と大陸文化の交流を示す国内最古級の石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」は、7〜8世紀の古代の石碑、山上碑(やまのうえひ)・多胡碑(たごひ)・金井沢碑(かないざわひ)の総称で、直径約3㎞以内に三碑が近接しています。
すべて国指定特別史跡。三碑は相互に関連性が深く、朝鮮半島の石碑文化、中国の政治制度や漢字文化、インドの仏教文化などの影響がうかがえ、中央(近畿)から遠く離れた東国の上野国(群馬県)に、当時の先進文化が受容され、守られていたことを示しています。
東アジアの交流を示す歴史的・文化的に貴重な遺産としてユネスコ「世界の記憶」へ登録されました。
681年、亡き母を思う僧が建立。完全な形で残る日本最古の石碑で、日本語順で漢字を並べた最古級の史料です。
- 問合せ
- 027-321-1292
(高崎市文化財保護課) - アクセス
- 上信電鉄山名駅または西山名駅から徒歩約20分
上信越自動車道藤岡ICから約20分
711年頃建立。「多胡郡」がつくられ、「羊」という人物が長官になったことを示す碑。楷書体の手本とされてきました。
- 問合せ
- 027-387-4928
(多胡碑記念館) - アクセス
- 上信電鉄吉井駅から徒歩約30分またはタクシー約5分、上信越自動車道吉井ICから約7分
726年建立。仏教による一族の結集を誓った碑で、仏教の広がりを示します。「群馬」の文字は県内最古の事例です。
- 問合せ
- 027-321-1292
(高崎市文化財保護課) - アクセス
- 上信電鉄根小屋駅から徒歩約10分
上信越自動車道吉井ICから約20分
写真提供:高崎市教育委員会
群馬の遺跡は今から2~3万年前、旧石器時代の「岩宿遺跡」に始まります。
3世紀後半~7世紀にかけて古墳時代には関東は東国と呼ばれ、群馬は大事な拠点でした。大和政権のある近畿と未開拓の東北を結ぶ陸路の通過点であり、当時貴重な軍事力だった”馬匹(ばひつ)生産”を積極的に行っていたからです。
そのため4~6世紀にかけて豪族らの古墳が群馬に沢山作られました。
特に西部エリアに多いのは、石の生産が盛んだったことが要因。
多くの出土品や埋葬品から当時の「東国文化」を知ることができます。
馬の埴輪(保渡田古墳群)